英文部分翻译:tower2
Disclaimer
© 1989 by Tokuma Shoten
Transcribed without permission for personal entertainment purpose only.
作为角野荣子的原著,《魔女宅急便》是儿童文学里很温暖地描绘了存在于日本当代少女希望和精神中的独立感和依赖感之间的隔阂的优秀小说。
在过去,作为故事主角的年轻人在通过战胜困难之后,获得财政上的独立,自然也获得了精神上的独立感。而在今天的社会里,一个大家可以从一份临时工作跳到另外一份工作去赚钱时,那么财政上的独立和精神上的独立就不再有了联系。在这个时代,贫穷与其说是物质上的不如说是精神上的。
在这个时代,离开家庭独自生活不再是什么很特别的事情,而在陌生人中生活意味着你唯一所需要的就是去一家便利商店,这也许比去达到一种独立的真实感觉更为困难,因为你必须经历一种发现自己才能和表达自己的过程。
唯一一点不寻常的地方在于女主角,13岁的KIKI能做到飞翔。而且在这个世界上,女巫并不比通常的女孩子要更有才能。她有义务生活在一个陌生的城市然后锻炼她的才能并且要让人们承认她是一个合格的女巫。
这有点像那些想成为漫画家而只身来到东京的人们。据说现在有大约30万年轻的男女们为这个理想而来。成为一个漫画家并不是不寻常的。可以相对容易地看到希望并且作出自己的生活选择。但是一个现代生活的特征就是日常生活的需求被自我实现的要求所取代。KIKI使用的是妈妈的旧的但是养护很好的扫帚,她有一个爸爸作为礼物送的收音机,还有一只与其关系如此亲密以致就像她自身的一部分的黑猫,但是KIKI在孤独和对人群的渴望之间摇摆。在KIKI的生活中,我们看到了反映出今天许许多多年轻少女们的生活,她们被她们的父母所宠爱,在经济上所供给,但是她们都向往着城市的亮光,打算前往那么并且独立起来。而她意志的薄弱和理解力的低浅同样也反映在现实世界里的年轻人们。
在原著中,KIKI依靠她天生的热心肠解决问题。同时她的朋友圈也在不断扩大。在电影里我们必须得有一些改变。她锻炼自己才能的过程当然很愉快但是我们生活在都市的年轻女孩的精神世界并不这么简单。对许多年轻女孩子来说,最大的难题在于打破对自己独立的束缚,
很多人都感觉她们所接受的并不仅仅是一个简单的祝福。所以我们觉得,在电影里我们必须对这个独立的问题给予严肃的对待。因为电影总是创造出一种更加现实的感觉,所以KIKI将遭受比原著中更加强烈的挫折感和孤独感。
当我们第一次看见作为一个在都市上空飞翔的小女孩的KIKI时,许多目光都很惊奇,但是却没有一束目光是温暖的。当她飞翔在天空中时,她被孤立了。通常人们认为飞行的力量就在于让人摆脱地球的束缚,但是自由却伴随着焦虑和孤独。我们的英雄是一个决定用飞行来定位自己的女孩。在这之前,只有很少的TV动画制作过小女巫的故事。她们总是会轻松地变为偶像。《魔女宅急便》里的女巫并没有拥有类似这样的力量。
在电影里女巫拥有的才能真的和日常生活中的女孩所拥有的一样。
我们计划着一个快乐的结局。当KIKI飞过这个城镇时,她感受到在她和下面生活着的人们那强烈的融合感,于是为此而高兴。我们希望让电影有足够的说服力,让观众感觉到结局是快乐的,而不是仅仅希望如此。
我觉得电影将完全达到它的目的,即对我们年轻的观众来说,那些生活在当今世界的,既没有否定年轻的快乐,也没有沉迷于年轻的快乐的女孩子们,在自由和依赖中徘徊。(因为我们也曾年轻过,我们部门的年轻职员也有着这样的问题)。同时我觉得这部电影作为娱乐,最基本的潜力就在于这点,它将在观众中引起共鸣。
——宫崎骏
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英文原文:
The Hopes and Spirit of Contemporary Japanese Girls
By Hayao Miyazaki
The English foreword to the book The Art of Kiki’s Delivery Service
Disclaimer
© 1989 by Tokuma ShotenTranscribed without permission for personal entertainment purpose only.
Eiko Kadono’s original story, Majo no Takkyubin “Kiki’s Delivery Service” (Published by Fukuinkan Shoten Publishers Inc.) is a fine work of children’s literature warmly depicting the gulf that exists between independence and reliance in the hopes and spirit of contemporary Japanese girls.
At one time the main characters of stories for young people gained financial independence, which was then equal to spiritual independence, after struggling through difficulties. In today’s society, however, where anyone can earn money going from one temporary job to another, there is no connection between financial independence and spiritual independence. In this era, poverty is not so much material as spiritual.
In an era when leaving the security of one’s home is no longer anything special, and living among strangers means nothing more than going to a convenience store for anything you need, it might be more difficult than ever to achieve a real sense of independence since you must go through the process of discovering your own talents and expressing yourself.
The only unusual thing that the heroine, 13-year old Kiki can do is fly through the sky. Moreover in this world witches are not much more talented than normal girls. She has the duty to live for a year in an unfamiliar town and exercise her talents to make people acknowledge her as a proper witch.
This is like someone who wants to be a cartoonist coming alone to Tokyo . Today there are said to be around 300,000 young men and women who are hoping to make it as cartoonists. Being a cartoonist is not that unusual a job. It is comparatively easy to get started and to make some sort of living. But a characteristic of modern life is that once the needs of daily life are taken care of the real problem of selfrealization begins. Kiki is protected by mother’s old but well-looked-after broom, she has the radio that was a gift from father, and the black cat she is so close to that it is almost like a part of herself, but Kiki’s heart wavers between isolation and longing for human company. In Kiki’s life we see reflected the lives of so many young Japanese girls today who are loved and supported economically by their parents, but who long for the bright lights of the city, and are about to go there and become independent. The weakness of her determination and the shallowness of her understanding are also reflected in the world of today’s young people.
In the original, Kiki solves difficult problems with her naturally good heart. At the same time her circle of allies increases. In filming this we have had to make a few changes. The process of her developing her talent is surely pleasant but the spirit of our young girls living in the capital today is not so simple. The biggest problem for many young girls is the fight to break through the barrier of independence, and there are too many people who feel they have received not a single blessing. We feel, therefore, in this movie that we must give serious treatment to the problem of independence. As movies always create a more realistic feeling, Kiki will suffer stronger setbacks and loneliness than in the original.
Our first image of Kiki when we meet her is of the form of a small girl flying through the night sky over the capital. Many lights shine, but there is not a single light to warmly beckon her. She is isolated as she flies in the sky. It is usually felt that the power of flight would liberate one from the earth, but freedom is accompanied by anxiety and loneliness. Our heroine is a girl who has decided to identify herself by her ability to fly. Quite a few TV cartoons about little witches have been made before this, but the witchcraft has always merely been the means to fulfill the dreams of young girls. They have always become idols with no difficulties. The witch of Majo no Takkyubin (Kiki’s Delivery Service) does not possess that convenient kind of power.
The talents of witch of this film are really little more than those possessed by any real-life girl.
We are planning a happy ending. As Kiki flies over the town she feels a strong bond between herself and the people who live below, and is happy being herself. We are hoping to make the film persuasive enough that viewers will conclude that the ending is happy, rather than merely wish it to be so.
I feel that this film will fulfill its goal of reaching out with a feeling of solidarity to our young viewers: the young girls living in today’s world who do not deny the joy of youth, nor are carried away by it, torn between freedom and dependence (because we were all young men and women once, and the young members of our staff have these very problems now). At the same time I feel that the basic potential of this film as entertainment lies in this point and that it will inspire sympathy in the viewers.
– Hayao Miyazaki
为了能让大家翻译日文部分,我请人打了出来,不重要的就没打,可以去http://www.google.com/language_tools?hl=en网站翻译。
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製作 株式会社 徳間書店
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本CD-ROMについて
映画「魔女の宅急便」の初期イメージボード、美術ボード、キャラクター設定、セル、フイルムなどをストーリーにそって紹介。初期イメージボードは、近藤勝也、大塚伸治、近藤喜文の三氏、美術ボードは大野広司氏、キャラクター設定は近藤勝也氏によって、各々描かれている。本文のコメントは、各人へのインタビューを再編成したものです。
なお、セルは映像処理が施されていないものもあり、実際の画面は違うものがあります。
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「魔女の宅急便」は東京•吉祥寺にあるスタジオジブリから生み出された。
映画「魔女の宅急便」は様々な映画賞を受賞した「となりのトトロ」に次ぐ宮崎駿監督作品であり、スタジオジブリ制作の劇場長編映画第4作である。これまで自作のオリジナル•ストーリーを手がけていた宮崎監督にとって、「魔女の宅急便」はテレビシリーズ「名探偵ホームズ」以来の原作付きの作品だ。監督の他にブロデューサーとシナリオ(脚本)も兼ねており、なみなみならぬ熱意が感じられるが、そもそも「魔女の宅急便」は最初から宮崎監督が手がける予定ではなかったのだ。様々な過程を経た結果、宮崎駿ブロデューサー、脚本、監督作品として完成されたのである。
企画そのものも、映画制作、企画会社のブルーブ風十舎から徳間書店に持ち込まれたもので、童話作家、角野栄子さんの原作を宮崎駿•高畑勲両氏のいずれかにアニメーション化してほしい、というものだった。
企画が持ち上がったのは「となりのトトロ」の制作が決定した87年の春。「となりのトトロ」や「火垂るの墓」と並行して準備を進めることは宮崎•高畑両氏にとって無理があり、話し合いの結果、宮崎氏がブロデューサーを務め、監督は才能のある若い人に委ねることになった。
周囲の若い女性アニメーターを見てきた宮崎氏は、「魔女の宅急便」の主人公キキに彼女たちをオーバーラッブさせ、都会に生きる現代女性と共通のテーマがあると考えた。キキが普通の女の子ならば、映画にしても、せいぜい70~80分程度にしかならないだろう。当初「魔女の宅急便」は、小規模に劇場公開される80分程度の小品として製作が進められたのである。
「となりのトトロ」の追い込み時期と重なった87年の暮れから、88年の春にかけてスタッフの人選が検討され、「天空の城ラビュタ」と「となりのトトロ」に参加して、力を発揮してくれた近藤勝也氏が作画とキャラクターデザイン、大塚伸治氏が作画、「となりのトトロ」の男鹿和雄氏の紹介で、「サミアどん」、「キャッツアイ」「AK∣RA」を手がけている大野広司氏が美術に起用された。
問題は、作品の要となる演出とシナリオである。シナリオは、アニメーション出身の若手シナリオライターに依頼されたが、演出は、適任者がなかなか決定しなかった。宮崎氏は「となりのトトロ」の進行の合い間に、20代の演出家による最近のアニメ作品をビデオで見まくったが、これだという人が見つからなかったのだ。さらに、若手シナリオライターが書いたシナリオも、宮崎氏にはしっくりこなかった。そのシナリオライターの発想は面白かったが、宮崎氏の求めているものとは差がありすぎたのだ。シナリオライターが持っている乾いた部分がどうしても納得できなかったという。結局、このシナリオは使われなかった。
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コリコの町の風景は、ウィスビーの雰囲気が生かされている。
88年4月、「となりのトトロ」が完成し、時間の余裕ができた宮崎氏は、ブロデューサーだけやるはずだった「魔女の宅急便」のシナリオを書き始める。さらに、映画の舞台であるヨーロッパの雰囲気を感じさせるために、メインスタッフによるロケハンを提案し、宮崎氏が始めて行った外国、スウェーデンのゴトランド島を指定した。
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作画の大塚伸治、近藤勝也、美術の大野広司、演出補の片渕須直の4名ロケハンに参加し、ストックホルムとゴトランド島のウィスビーに滞在。町並みや家など、風景を中心に写真が撮られ、最終的に24枚撮りフイルム80本、ダンボール箱3個分の資料が集められた。
物語の舞台となるコリコの町は、主にストックホルムのイメージで描かれ、裏通りはストックホルムの下町ガムラスタンがモデル
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帰国後、資料をもとに美術ボードが進められ、部分的に毎週届けられる宮崎氏のシナリオをもとに、キャラクター設定やイメージボードが追加された。宮崎氏のシナリオは、書いていく内にアイデアがどんどん脹らみ、原作では依頼人の一人として登場する「絵描きさん」がウルスラとなり、クライマックスも原作にはない飛行船のバニック•シーンが考えられた。6月18日にシナリオは脱稿され、7月8日に改訂稿がUPしたが、完成したシナリオは原作をもとにはしているものの、宮崎作品そのものであり、結局は演出も自分でやらざるをえなくなってしまったのだ。
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シナリオが書き上がるとすぐに、宮崎氏は絵コンテ作業に入ったが、後に述べるように、これまでの演出の仕方とは違った視点で「魔女の宅急便」を描こうとするため、作業が予定よりも大幅に遅れ、8月末にようやくAパートのみ完成した。その間、7月より、色彩設計の保田道世さんも準備班に加わり、原画、動画、仕上げ、背景と参加スタッフの確保が着々と進められた。
ここにあげたイメージボードは、原作を基にして描かれたもので、実際の作品では使用されていない。監督が宮崎氏に決定するまでに、近藤勝也、大塚伸治、近藤喜文、片渕須直各氏によってかなりの枚数が描かれている。
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宮崎氏が監督になった段階で、「魔女の宅急便」は当初の予定だった80分から90分の作品に変更されたが、絵コンテを描き進める内にさらに脹らんだ部分もふえて(老犬ジェファーソンのシークエンスはシナリオを大幅に変えている)、最終的に102分の大作になったのである。
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宮崎監督は、映画を作ることについて次のように語っている。
「映画を作る時は、当然、こういう理由で映画を作らなければいけない、というコンセプトを、作り始める段階でかなり突っ込んで明瞭にしていきます。どういう映画にするか?表現の中心になるのは何か?それを作る意味は?それを観客が受け入れてくれるだろうか?という話をかなりするわけですが、メッセージのために映画っを作ろうとは思っていないんです。コンセプトを明瞭にするという作業の中に、それは込められているのかもしれませんが、メッセージを伝えればすむということではなくて、それが面白くなければダメなんですよ」
宮崎監督の言葉は、そのままアニメも含めた日本映画界への提唱と言えるだろう。
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宮崎監督は「「魔女の宅急便」を演出する際、これまでのアニメーション演出法とは視点を変えた新しい試みをしている。これまでにも「風の谷のナウシカ」ではオームを動かすゴム•マルチを開発したり、「となりのトトロ」では時間経過を美術における光の描写で表現するなど、画面効果を出すための手法を次々と編み出しているが、今回はさらに「「魔女の宅急便」という作品のイメージを決定する基本的な部分で、これまでの宮崎作品とは違った試みがされている。
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演出で言えば、まずアングルの切取り方を根本的に変えている。例えば、人物の会話シーンであれば、これまでのように人物をバスト•ショットに据えることはせず、目線を人物の高さにしている。町の切取り方も、トンボの家なら、全景を入れないで裏側と庭先の一部だけを使って描写するなど、これまでになく、全体像を見せるような設定についてはラフな感じになっている。本来なら中二階にあるキキの台所を描写するのに、狭い階段を登る場面などを入れて説明していたのだが、今回は、設定を説明するような描写は省いている。
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生垣を越えるキキ•フイルム
「すでに絵コンテが出来ていた時に描いたものなので、レイアウトは絵コンテを参考にしました。木のボリュームや形状を意識して描いていますね。透過光や水面の処理によって色合いが変化する所なので、実際の美術を手がけた男鹿(和雄)さんは大変でしたね」(大野広司)
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キキ•キャラクター設定1
「キキという娘は、まわりの人を幸せにするよりも、本人が気がついていない内に、まわりの人に助けてもらっている娘です。自分の手ごたえ、自分の幸せに一番感心を持っているんですね。声優の高山みなみさんには、場面説明を一言も言わなかったんですが、こちらが想像している以上に声を出してくれました。キキの気持ちが非常によくわかるって言うんですね」(宮崎駿)
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ロングへアーの初期キキとジジ
「最初は原作をイメージしてロングへアーにしたのですが、作画のことを考えると難しいので次にはリボンで髪を括って、プライベートな時はリボンをはずして原作のイメージを出して、仕事の時にはリボンを付けるという二面性を出そうと思ったのですが、キキのイメージではないので、最終的にショートヘアーになりました。頬には、最初から赤みを入れようと思っていました」(近藤勝也))
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オキノ邸•背景
「キキの家は原作にある花に包まれたというイメージを大事にして、グラフィック(デザイン処理)なメルヘンぽいものにしています」(大野広司)
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「サンルームは、中が明るくて外も明るい感じを出したかったのですが、実際はかなり絞ってしまいました。逆に、それで良かったのですが」((大野広司)
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「コキリは、一人の市民として社会に引落され、自分も人々を引落して、その中でそれなりに自分の信念を貫いて平和に暮すという、一種の小市民的な関係を望んでいるんです。その時に気配りだとか、人に役にたつとか、そういうことが大事だと思っている人ですね。だから、お婆さんに薬を作ることに意義を感じているんだと思います」(宮崎駿)
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「声を入れてよく判ったのですが、ジジが自己主張するとどこか変なんです。独立した人格ではないのです。それは、ジジがキキの一部だからなんですね。いわゆる性的に未熟な一部なんです」(宮崎駿)
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「キキという娘は、親の前ではあくまでも子供だけれど、一人になるときは結構真面目な顔をして物事を考えるだろうし、同年輩の男の子に対してはつっけんどんに乱暴な口をきくけれど、目上の、しかも自分にとって大事な人だなと思えばきちんと礼儀をもって接する。それをいつも計算づくでやっているのではなく、自然にそういう風に立振舞ったり、それが親から躾として仕込まれたことだったり、様々な表情の使い分けをやっていく娘だと思うんです」(宮崎駿)
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「従来のアニメーションならば、会話のシーンだったらアングルをバストに据えて、しゃべらせてしまうのですが、今回はあまりアニメーション風なアングリの取り方ではなく、目線を人間の高さにもっていこうとしています。でも、そうするとパースが合わないんですよね。だから、サイズが狂って家が大きくなったり小さくなったり(笑)」(宮崎駿)
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「キキのお父さんはクセがないので描きようがないんです。ですから登場人物の中では最後まで決りませんでした。イメージとして俳優の寺尾聡やデビッド•マッカラムをモデルにしています」(近藤勝也)
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「黒い服というのは一番粗末な服で、それを着て大勢の人の中に降りていかなくてはならないというのは、娘にとっては辛いことなんだとわかった時に、始めて修行の意味がわかってくるんです」(宮崎駿)
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「キキは不安定に飛ばなくちゃダメなので、基本的にはくり返しの作画はしていません。今回は、空を飛ばすことよりも、地面の上を歩かせることばっかり考えていました。走る時のスカートの動きは、スマートにしないでバサバサさせようとかね」(宮崎駿)
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「今度は女の子の映画だから、歌を入れた方がいいだろうと思いまして。それならユーミン(当時•荒井由実)の歌が一番だとは初めからありました。「ルージュの伝言」を初めて聞いたのは日本アニメーションにいた頃で、いい歌だなあと思って。決して古びていないし、今の人が聞けばむしろ新鮮な感じがすると思うんです。「ルージュの伝言」は女の子の気持ちを歌っているのであって、男の子に向けて私に振りむいてという歌ではありませんよね。実際、タイトルで流した時には、あまりにピッタリなのでまいりましたが。「中央フリーウェイ」を使う案も出たのですが、固有名詞が入ってきてしまうので使えませんでした」(宮崎駿)
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「町のイメージは、日本人が考えている昔のヨーロッパですね。ナポリ、リスボン、ストックホルム、パリ、それにサンフランシスコと様々な国が混ざっちゃってね。だから片側は地中海沿岸なんだけど、もう片側はバルト海に面しているとか。(笑)」(宮崎駿)
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最初の案では、キキが一晩時計塔に泊まって、時計守りの老人と親しくなる、というアイデアも出ていた。このイラストはそのイメージで描かれている。
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「魔法の才能が優れているからといって、すぐにアイドルになれるような映画にはしたくなかったんです。だから、飛んでいるキキを見たら、一応振りむくけれども特に問題にはならない、そういう世界なんですという設定をみんなに納得させるのに、かなり気を配っています」(宮崎駿)
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「トンボは最初からイメージが決っていたので、後はどう具体的にまとめるかでした。髪は外国映画などによく出てくるスタイルですが、トンボのイメージに合っていたので出してみました」(近藤勝也)
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原作の太ったイメージに抵抗があったので、なるべく痩せた感じにしています。シンの強そうな、若い頃の小川真由美のイメージですね」(近藤勝也)
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「おソノさんの亭主は、役割としてしゃべる必要がないんです。キキはおそらく、あの亭主の言うことは全然気を配らないだろうしね。あの亭主は、キキのことをちゃんと気をかけてくれているんだけど、隠れヒョーキンなんですよ。キキも一人前の男性と話すのは辛いんです。だから、いつの間にか全部女性のような映画になってしまいましたね。まだ男性としてハッキリしないトンボだけが一人バカなことをやっていますけど」(宮崎駿)
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「パン屋は設定から作りましたが、ロケハンでは、このような木組の建物はあまり見かけませんでしたね。風向きで煙の出口の位置を変えられる煙突が印象的で、パン屋の煙突の参考にしました」(大野広司)
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「キキの住む部屋は、作画の近藤喜文さんのエンピツ描きを基にしています。ベッドは最初、木のベッドでいきましょうか言って描いたんですが、木だとみすほらしすぎるということでやめました」(大野広司)
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「アニメーションで日常生活を描くことが難しいか易しいかは、それが好きか嫌いかだと思います。僕自身はアニメーター出身ですので、日常生活を描くというのは辛気臭いんですよ。いくら枚数をかけても足りませんしね」(宮崎駿)
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水着姿は、原作のエビソード用に描かれたもの。原作では、海岸で初めてトンボと出会う。
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「キキたち女の子の立居振舞いはほとんど僕が新人教育をした若い女性アニメーターの生態を見学していて覚えたことです。女性はある一定の数になると、トイレに行くのも堂々としているんです」(宮崎駿)
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「昔のヨーロッパ映画に出てくる、ウェストがキュッと締まった女性の感じにしたかったんです」(近藤勝也)
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「ネコを連れてホウキに乗って飛んでいる内はキキも自由ですが、修行というのはキキにとってホウキを持たなくて、ネコを連れないで一人で町を平気で歩けて、人と話ができる、という風になれるかどうかなんです」(宮崎駿)
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「最初のシナリオで、老犬はただジジを追いかけまわすだけの役だったのですが、それはあまり好まないので、絵コンテの段階で変えました。家にも、満12才の老犬がいるのですが、ネコと出会ってもよほど気がむかないと、追いかけないですよ」(宮崎駿)
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「ウルスラはとても好きですね。だから、ウルスラの声はとても大事だということを初めっから言っていました。キキ役の高山みなみさんは、最初ウルスラ候補で決っていたのです。ダブル•キャストは大変なプレッシャーなのですが、無理してやってもらいました」(宮崎駿)
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「シナリオ段階では、1人暮しの老婦人だったんですが、お年寄りの持っている寂しさというのはキキでは埋められないんです。そこで、老女が2人で生きて、デコボコ•コンビだったら、あまり心配しなくてもむだろうと思って、老女中を出してみたんです。映画としては、キキにまた1人友だちができたとした方がいいんじゃないかと思いましてね」(宮崎駿)
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「お届物をするということは、キキのような目に会うことなんです。むしろ、キキは自分の甘さを思い知らされたんだと思いますね。当然、感謝してくれるだろうってね。実際は違うんです。お金をもらったから、運ばなきゃいけないだけなんです。それで、もしも、いい人と出会えたら、とても幸せなことだと思わなければいけないんですけれど。別に映画ではそうは言っていませんが(笑)。それから、ケーキの少女のしゃべり方は気に入っています。あれは嘘じゃないですね。いらないと言っているのにニシンとカボチャのパイを送ってくるので本当にイヤなんですよ。そういう行き違いは世の中にいっぱいありますよね。それがキキのような娘にとっては大きなダメージかも知れませんね」(宮崎駿)
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「僕は、ドンボとキキが恋仲になったとは全然思っていないんです。ただ、気のおけない友人にはなるだろうとは思いますが」(宮崎駿)
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「飛ぶことが当たり前の世界なので、自転車が飛んでも別に驚かないんですよね。それが大きな計算違いでしたね。自転車は全てブラシだったので非常に手間がかかるんです。相当カットを積んだつもりだったんですが、シーン的にはアッという間に終ってしまいましたね。とにかく、キキを笑わすことが必要だったんです」(宮崎駿)
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「キキは自分を持てあましているんです。思春期とは自分を持てあますんです。こちらの方が正しいと判っているのに反発してくだらないことをワザとやってしまうんですね。思春期というのは特別な時期で、なかなか卒業できなかったりするんです」(宮崎駿)
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「この作品では“魔法”というものを、従来の魔法ものの伝統とかを全て切り離して、キキの持っているある種の才能だと限定して考えました。それだけにいくらでも飛べなくなることがあるんです。飛べなくなったのはトンボとケンカしたからだとか、説明すれば問題は明確になるかと言えば、そうはならないと思うんです。むしろ、映画の中の表現の方が女の子に納得してもらえると思ったんです。僕たちも、昨日描けたものが急に描けなくなることがよくあります。どうして描けたのか忘れてしまうんです。それがどうしてなのかは、解りませんよね」(宮崎駿)
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「キキのような女の子にとって一番必要なのは、友人として自分の部屋を訪ねてくれる人、あるいは自分の煩悶を肯定的に理解してくれる人を持てるということなんです。その人に出会うことの方が、商売をうまくやっていくとか、いかないとかいうよりもキキにとっては大事なことなんです」(宮崎駿)
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版画を撮影した写真に、背景の男鹿和雄氏によって、タッチや、キキの顔が付け加えられている
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「ウルスラの描く絵は、何んでもいいんです。力のある絵なら。絵にその映画のポイントがあるとしたら、力のある絵が出てこないとダメなんです。絵そのものが何かを訴えるかよりも、ああゆう所に1人暮ししている女性が描いている絵ということで意味があるんですね。実は、絵コンテだけで作業を終えていたら、時間をかけて楽しみながら自分で描きたいと思っていたんです(笑)。そんな時間が無くなった時に、「虹の上をとぶ船」という作品を思いだしたんです。あの版画の養護学校(八戸市立湊中学校)の作品ですから、絵を指導した先生に諒承していただいて、原画に顔だけを付けたしたんです。まさか、馬の顔のモデルをキキにやらす訳にもいけませんからね」(宮崎駿)
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「本人が一番辛くて、張りつめている時はいい顔するんですよ。嬉しくてニコニコしている顔も、それはそれで別な魅力があるのですが、その両方の奥行きを持っていた方がいいでしょう?ウルスラって娘は、追いつめられて困っている時のキキの顔を見て、モデルにしたいと思ったんでしょうね」(宮崎駿)
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「始めは、キキが市街電車に乗っていくシーンを考えて楽しみにしていたのですが端折らずをえなくなって、老婦人のところへ駆けつける場面で入れてみたんです。まあ、なんであんな静かな所に市街電車が通っているのかは知りませんが(笑)(宮崎駿)
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「大きな事件を起すにしても、TVの画面にした方がリアリティがあるんですね。TV画面は、開発されたばかりのグレイカーボンに透過光をかけて淡い線を出しました。従来のプラックカーボンでやるとハッキリした線になってしまうのでダメなんです。グレイカーボンのおかげですね」(宮崎駿)
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「キキが最初に町で失敗するので、最後はどうしても町の中で、それも地面の上でキキが何かをやらないとたとえ、知り合った人間たちとうまくやれるようになっても、この映画としては終らないんです。町の中でパンツ丸だしになるということは、絶対、最後の通過儀礼として、キキには必要なんですね」(宮崎駿)
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「起や承あたりで事件が起ってくれれば、それを巡っての話になるのですが、最後に取って付けたような大きな事件を起す訳にもいけないので、飛行船、飛行船と常に伏線で売り込んで、さらにテレビを通じての方がリアリティがあるんじゃないかとか、そういう手管を様々と労しましたね」(宮崎駿)
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「今回の映画では、キキというヒロインはこれからも何度も落ちこむだろうけど、またそこから這い上ってくるだろうという風に終らせようと思っていました。商売がうまくいくようになったから、あるいはアイドルになったからメデタシメデタシで終わるんじゃなくてね。とくに、職業成功物語にしては絶対にいけないと、思ったんです」(宮崎駿)
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「エンディングは、見ている人が安心するような絵柄にしたかったんです。おソノさんの赤ん坊もどこかで出したかったし┅┅。それと、一番やってあげなければいけないな、と思ったのは、キキが同年輩の女の子と友だちになるということですね。キキがわだかまりを捨てれば、特にいじわるな人たちがいるわけではないんですから」(宮崎駿)
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コリコの町全景は、宮崎監督自ら原画を手がけている。








[授权]无题19
2009年12月3日作者:lynn
背景是在澳大利亚Tansmania的Ross哦,我去过这个城市,和动画中背景很像,那座动画中奇奇经常穿过的海上大桥是这座城市的标志哦:),城市居民多是欧洲移民所以建筑风格多样并且迥异,这座城市真的是和原著一样经常风很大,天气也经常变幻的。
我还到原著背景的面包店里买了面包和点心,店里营业员都穿着红白格的复古乡村蓬蓬裙很可爱,那里点心的味道让我无法忘记啊是我吃过最美味的点心…..完全不像大城市那种特别商业化的bakery,而是每一口都让人回味的精心制作的点心啊:)
还有值得一提的是那种有轨电车也叫做tram的交通工具在澳大利亚很常见,在Ross有在horbat有在melbourne也有,这种有轨电车非常具有欧洲风情,估计也是因为以前的欧洲移民移民吧,动画里的电车是最老式的设计了很可爱的红黄,绿黄相间色哈
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